三橋たつお公式ブログ

岐阜市をやさしくあたたかく

中越地震で被災、当時の山古志村村長に災害対応の教訓を学ぶ

 自民党ぎふ政治塾の第1期第2回講座は東日本大震災の発生した2011年、10月8日に開催されました。自民党が国政では野党の時期です。

 第1部の講座は、新潟県第5選挙区選出の衆議院議員(当時)、長島忠美先生に「災害への対応、その時リーダーはどうあるべきか」をテーマにお話しいただきました。
(長島先生は2017年8月18日に故人となられました。ご講義いただけた事に感謝いたしますと共に、謹んで哀悼の意を表します)

 長島先生は、2004年に発生した新潟県中越地震の際、旧山古志村の村長を務めておられ、全村避難を決断、被災復興の陣頭指揮にあたられました。2005年に衆議院議員に初当選して国政で活躍されますが、その後も仮設住宅に住む被災者全員を見送るまで、共に避難住民と暮らす事を誓い、2007年末に最後の一人として仮設住宅を退去、故郷山古志に戻られたそうです。
 80分間の講義は、そのご経験に基づく災害対応への教訓が主となりました。

悩みを解決する手立ては一人一人違う、目指されるべきこれからの行政サービス

 塾生との質疑応答を含めた講義の中で、私の心に一番残っているのは「災害は(個々の立場に立って見れば)平等ではない、したがって平等な施策は不向きである」とのお考えでした。
 実はこの考えは、「被災者への支援」にとどまらず、福祉や様々な支援を行う際に、非常に重要視される事柄ではないでしょうか。
 実際、私の知る支援に携わる方々の中には、当事者の求める支援は百人百様で、「オーダーメイド型支援」とでも言うべき施策が望まれるとの声が少なくありませんし、私もそのように思います。
 法令や規則、解釈基準に沿って行われる事を基本とする行政サービスは、どうしても「一律(平等)」とならざるを得ず、この点で「オーダーメイド型支援」には不向きです。

講義で、長島先生に教えていただいた事

 以下にの長島先生の講義内容を私の講義メモから順不同で抜粋させていただきます。
 私の理解不足から正確に講義内容を伝えていないものもあるかとは思いますがご容赦を。

・災害時対応は、市町村、さらにはもっと狭いコミュニティでの視点が必要となる。大規模災害であろうとそれ以外の災害であろうと、規模の違いでその対応が異なるわけではない。
山古志村中越地震発生まで、非常に大きな災害は発生してこなかった。それが突然被災した。全村避難は、村長として村民の命と財産を守る苦渋の決断だった。
地震発生の翌日、村へと通じる道路の全てが寸断され、ライフラインも壊滅している事が判明。余震も頻発していた事から全村避難を決断。村政の両輪である村議会には議員への情報公開を大前提に対策の専決を村長に認めて欲しいとお願いし、議会は快諾。「避難先」と「ヘリコプターによる避難手段」を確保すると共に「避難の期限は翌日」と決めた。
 その翌日(25日)の午後3時、おおむね全村避難を終えた。最後の一人として自分が避難する際にヘリコプターから見た村の被災状況は「戻れないかもしれない」と感じるほどだった事を覚えている。
・避難期限とした25日、役場の職員には「明日からは村を取り戻す努力を始める。避難はさびしい、辛いのも分かるが力を貸して欲しい」とお願いした。村民の皆さんには「避難指示に従ってくださったお礼」を伝えた。
・避難先(長岡市)では、毎日避難所を巡った。深夜3時くらいに避難所を巡る事もあり、「人に頼らなくてもできる事をきちんとしているか→ゴミなどが散乱していないか」「お年寄りが孤立していないか→眠れているか」などといった事を確認してケアに努めた。
・帰村のための復興計画は時間との勝負と考え、「帰ろう山古志へ」を合言葉に2年での復興という目標を立てた。避難生活の限界が2年だろうと考えた他、避難所に置いた村民からの意見ノートに「具体的な目標を示さないでただ頑張れと言われて、人が頑張れると思うのか」と書かれていた事も理由のひとつである。目標は村民と職員の努力、国と国民の暖かい支援、自然の治癒力に助けられ3年2カ月で達成された。
・村民や職員には「我慢せず、ストレスに感じる事ははっきり伝えて欲しいとお願いし」それを参考とした。
・村民の心の拠り所として、役場の電気は24時間消灯しなかった。
・災害発生時に政治家は「謙虚」さを持つべきであり、法よりも現場第一だと考えるべきである。
・帰村を目標とする以上、避難先で重視されるべきもののひとつにコミュニティの維持がある。お年寄りから子供まで、皆が一緒に元気に過ごしている事が重要で、誰ひとり、不必要な人はいない。
・災害は平等ではない、平等な施策は不向きである。個別の集会などを開く事で「我慢している事、困っている事」を把握して復興メニューを多様にして各自が「選べるよう」にする。さらには情報公開も必要で、これによって民間ボランティアなどによる支援が当事者にいち早く適切に届く事が期待できる。
・政治家は約束を守ってなんぼ。約束が守られない事で希望を失わせている。
天皇陛下がヘリコプターで村の状況を御視察された際、「綺麗な村だったのでしょうね。牛はどうしていますか。鯉はどうしていますか」とのお言葉を賜った。

 以上です。
 首長や議員を目指されている方などの参考になれば幸いです。

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衆議院議場天井のステンドグラス

 また、第2部の研修セミナーでは、グラフォロジーコンサルタントの丸山静香先生に「決意趣意書」作成を通じた筆跡学などを教えていただき、塾生全員の筆跡を評価していただきました。

※「政治塾で学んだ事」は、私が当該政治塾で学んできた事を私個人の記憶にもとづき記述したフィクションの一種です。記載内容は講義内容などに関する私の主観的な回顧と感想であり、真実とは異なる部分も多々あろう事をご容赦ください。